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高校1年の最初の日曜日に生まれて初めて通訳をした時、頭の中が真っ白になった


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By Dr. K. Kinoshita(木下和好): YouCanSpeak 開発者・同時通訳者・元NHK TV・ラジオ 英語教授

 <高校入学1週間前に告げられたこと>

中学3年の1年間、毎週宣教師の家に行って通訳の学びを続けた。とは言っても通訳の訓練らしきものはなく、宣教師は英日対訳の聖書を使ってひたすら英語でその内容を解説するだけだった。そして中学3年も終わろうとしていた。本格的な通訳の練習はいつ始まるのだろうと思っていたが、宣教師は突然「来週の日曜日、あなたは私の英語のメッセージを日本語に通訳します」と私に言った。お願いではなく決定事項的な言い方だった。びっくりした私は「無理です。通訳の練習もしたことがないし、通訳の方法も知りません」と断ろうとした。でも宣教師は「大丈夫です。もう話の原稿が出来ていて、私はその通りに話します。この原稿を前もって見ておけば、通訳できるはずです」と言って、私に英文の原稿を手渡した。お世話になっている先生だし、そこまで言われると断ることが出来ず、承諾してしまった。

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大変なことになったと思った私は、帰宅するや否や英文の原稿を1字1句日本語に翻訳し始めた。わからない単語は辞書で調べ、全体的につじつまがあうかを確かめ、おそらく翻訳自体には間違いはないだろうと思える所まで来た。でも翻訳が完成したからと言って通訳が出来ることにはならないことは十分にわかっていた。

日本語への翻訳が終わると、私は和文メッセージを何度も読み返した。翻訳和文をほとんど暗記してしまうくらい読んだ。それでも私の不安は消えることはなかった。

<人生初めての通訳>

いよいよその時が来た。私は宣教師の脇に立ち、初めて高い所から会衆を見た。会衆はなぜ高1になったばかりの私が、宣教師と一緒に講壇に立ったのかわからなかったようだ。私は脚がガタガタ震え、頭の中が真っ白になっていた。唯一集中したのは私自身の翻訳和文だった。その内容を忘れたらもうおしまいだと思った。

宣教師は英語で話し始めた。私は早速最初の日本文を言った。すると会衆の目つきが変わった。「高校1年生が通訳し始めた!彼は天才少年だったのか?」と思ったかも知れないとかってに想像し、私の緊張はさらに高まった。宣教師の声は聞こえるものの、その聞こえて来る英文の意味を捕らえるのではなく、暗記した日本文を順序良く思い出し、それを口に出すことにしか神経を集中できなかった。それでも何度も読み返した翻訳和文だったので、聞いている人達は、私が流暢に通訳していたように見えたに違い無い。英語のわからない会衆が気づかなかったことは、時々私は宣教師がまだ言ってない内容を先に通訳してしまったことだ。日本語は決して堪能ではなかった宣教師だが、私の日本語への通訳内容は全部把握していた。それで私が先行してしまった場合はあわてて速めに余分に話し、帳尻を合わせてくれた。でも頭の中が真っ白状態の私は、暗記した和文を何度か先に言ってしまうというヒッチャカメッチャカな通訳となってしまった。

でも文章を飛ばしてしまうことが無かったようで、メッセージが終わった後、感銘を受けた何人かが私の所に来て「とてもわかり易い素晴らしい通訳だったよ」と褒めてくれた。こうして生まれて初めての通訳が終わった。

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<高1の私に通訳させた理由>

初めて皆の前で冷や汗をかきながら通訳した後、私はなぜ宣教師が高1になったばかりの私に通訳させたのかの理由がわかったような気がした。それまで彼は日本語で話していた。でもあまり日本語が上手ではなかったので、彼はいつも小さめな声で口の中でゴモゴモ言うような感じで話していた。内容が日本人に伝わらなかったわけではないが、声に迫力がなく、時々わかりにくい部分があったりして、話の途中で居眠りをしてしまう人達は少なくなかった。私も時々眠ってしまった。自分が日本語で話すと人々が眠くなってしまう事実に、彼は心を痛めていたに違いない。

でも初めて私を通訳者にたて英語で語った彼は、以前の彼とは明らかに違っていた。声は明瞭で、モタモタすることもなく、自信を持って雄弁に話したのだ。彼の顔も生き生きとしていた。高1の私に半強制的に通訳をさせたのは、母国語で思い切り話したかったからだ。当時彼のまわりには英語のメッセージを日本語に通訳できる人材はひとりもいなかった。それで中学3年になったばかりの私に目をつけ、通訳練習のための無料個人レッスンを提案したに違いないと思った。

 <原稿に無い話題>

私の初めての通訳が表面的にはうまく行ったので、宣教師はその後メッセージをする度に私に通訳をさせた。1回目は本当に頭が真っ白になってしまったが、やがて慣れて来て、落ち着いて通訳できるようになって行った。それでも会衆は私が予め英語の原稿をもらっていて、通訳する前に日本語に翻訳し、準備万端で通訳に臨んでいたことに気づいていなかったようで、私の英語力に感銘していたに違いない。

でもある時、予期しないことが起こった。それは通訳中、突然原稿にはなかったことを宣教師が言ったのだ。「それって何?原稿には無かったはずだ!」と、またもや私の頭は真っ白になり、それまでスムーズに訳していたのに、突然下手になり、日本語がうまく出て来なくなってしまった。その時原稿をほとんど丸暗記した状態で通訳していたことが会衆にばれてしまった。そして天才少年から普通の少年に逆戻りしてしまった。

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それでも何回か通訳を体験して行く内に、原稿には無い話でも、何とか通訳できるようになった。

<要約だけになってしまった>

宣教師は私が高1の時は、きっちりとした原稿を予め手渡してくれていた。時折突然出て来る話もあったが、十分な準備が出来ていたので、通訳は徐々に楽になって行った。でもメッセージの全内容を原稿として用意し、私に手渡すのが面倒になったのか、あるいは元々忙しかったのかはわからないが、高2になると、「話の要約」だけを書いて私によこすようになった。私は一機に下手な通訳者に戻ってしまった。もはや誰も私を「凄い少年」とは思わなくなった。でも要約だけを手渡されると、今度は聞こえて来る英語の意味に100% 集中するようになった。「日本語で何と言うべきか」ではなく、とにかく意味を捕らえることに全神経を注ぐようになった。すると面白いことに気づき始めた。意味が良くわかると、日本語でどう言うべきかなどと考えなくても、日本語が自然に口から出て来るようになったことを。

こうして私は高校の3年間、ほとんどの人が体験しないであろう通訳という醍醐味を味わうことが出来た。そしてその体験がその後の私の人生に大きな影響を与えることとなった。

<本当は本格的な通訳の練習をしていたと後で気づいた>

私が高校1年になった時に通訳を開始したわけだが、宣教師との通訳の学びはその後も1年続いた。すなわち中3、高1と丸2年間続いたことになる。でもいつまで経っても通訳の技術的な学びは開始されなかった。やがて2年が経ち、高2になる直前に個人レッスンは終了してしまった。良く考えると、通訳のテクニックを指導する計画など最初から無かったのだと思う。第一その宣教師は自ら通訳をした経験もなく、日本語も完璧ではなかったので、私に通訳の技術を教えることなどできなかったはずだ。では私は何のために2年間も宣教師の家に通ったのだろうか。もちろんその2年間はとても楽しく、色々なことを体験し学んだので、それ自体を悔いているわけではない。でも立派な通訳者になりたいという私の夢は、空振りに終わったのではないかとも思えた。

でもその後の通訳の経験を積み、自ら通訳メカニズムに気づき、それを体系化し、又同時通訳セミナーを30年ほど続けながらふと振り返った時、あの2年間は、通訳の備えの大切さを学ぶ貴重な学びであったことに気づいた。

通訳とは、ひとつのことばを別のことばに置き換える作業ではなく、話者の語ることばの意味(イメージ)を正確にキャッチし、そのイメージを別のことばを使って再生することである。そこには「訳す」というプロセスは存在しない。「通訳」という日本語の表現は、通訳の概念を誤らせる危険が高い。

良い通訳者とは、話者と話題に関する情報と話者の思いを共有し、話者と同じ気持ちを持ち、話者の思考と同じ方向に向かって思考し、話者の発することばのより正確なイメージをキャッチして通訳をする人のことである。あの宣教師は、教会で聖書の教える真理を人々に伝えたいと思っていたはずだ。でも中学生の私は、聖書の教える内容を十分理解していたわけではない。聖書に関して無知な私が、宣教師のメッセージを通訳しても、まともな通訳が出来るはずがない。あの2年間の英語による事細かい聖書の解説は、私が彼の通訳者になるための必須条件だったのだ。その時はその大切さに気付かなかった。でも今考えると、本当に貴重な体験をさせてもらったと思う。

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通訳者と被通訳者は情報と思いを共有することが何よりも大切である。