子供に英語を学ばせるのは日本語が確立した後からの方が良いという発想の是非

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By Dr. K. Kinoshita(木下和好): YouCanSpeak 開発者・同時通訳者・元NHK TV・ラジオ 英語教授

人間社会から隔離されて育ったこどものことば

「オオカミ少年」という有名な話あるが、生後まもなく親を失い、オオカミに育てられた少年の話だ。このようなこどもは小説の中に登場するだけなく、実際にいくつかの似たような実話があるようだ。又世の中にはひどい親がいて、こどもに一切語り掛けることなく、檻に監禁して食べ物だけを与えていたことが発覚した例もある。いずれの場合も、そのような育てられ方をしたこどもは、ことばを覚えるチャンスがなく、ただ声を発することしかできない。10代になって発見され保護された場合、彼らの結末は悲劇的である。それはどんな優秀な言語学者であっても、彼らにことばを覚えさせることが非常に困難だからである。もう少し早く発見されていれば、ことば習得の可能性は高いが、10才以降特に13才以降に発見された場合、ことばを覚えてもらうための手段がなくなってしまう。なぜならそのようなこども達は、ことばを学ぶために必要なことばを持っていないからだ。残念ながら彼等らは無言語の生涯を送らなければならなくなる。

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「英語学習は日本語が確立した後に」という発想の根拠

著名な学者達の中で、「日本語が確立した後に英語を学ばせた方が良い」と提唱している人がかなりの数いる。その理由はいくつかあるであろう。「日本語が確立していない内に英語を習わせると、ことばの混乱が生じ、どちらも中途半端になる」という理由を挙げる人がいる。あるいは「日本語が確立していれば、英語の構造を理解し易いので習得し易い」と考える人もいる。日本語がペラペラのアメリカ人タレントであるパックンも、「英語を学び始めるのは日本語が確立した後からの方が良い」と提唱している。

オオカミ少年が発見された後なぜことばを習得することができなかったかを考えると、「知らないことばを覚えるためには、母国語が確立した後からが良い」という考え方がもっともらしく見える。ことばを学ぶ手段としてのことばがなければ、ことばの習得は難しいからである。オオカミ少年の場合は、ことば習得に必要なことば備わっていなかったことが最大の問題だった。

でも「母国語が確立した後からの方が良い」という発想を全ての子供に安易に適用するのは危険である。なぜならことば習得のメカニズは、年令によって異なるからだ。

母国語確立の意味

「母国語の確立」とは、「中枢言語(思い・感情・意志・論理等の精神活動の全てを含む)」と中枢言語内に浮かび上がった思いを他の人に伝える手段としての「音声言語」の結合がほぼ完成したという意味である。日本人の場合「音声言語」は「日本語音声」を意味するが、日本語の音声で何でも言えるようになったから日本語という母国語が完成したのではなく、「中枢言語中の思い・感情・意志・論理」等が「日本語音声」として結合し、何でも日本語音声で表現できるようになった状態が「母国語完成」ということになる。「音声言語」はパソコンの電子信号と同じで、それ自体には意味がないので、日本語音声でペラペラ話すから母国語が形成されたということにはならない。「音声言語(音声記号)」は「中枢言語」と結合された状態でのみ「ことば」となる。ここを良く理解しないと、「母国語が形成された後」の理解が大きく異なることになる。

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ことばを習得するための2大要素: 生活文脈 vs 既知言語

「中枢言語」と「音声言語」が完全に結合すると、それは「既知言語」となる。そしてこの「既知言語」の有無が語学習得の大きな鍵を握ることとなる。

では「概念(中枢言語)」と「音声(外的言語)」を結合させる要因、すなわち接着剤の働きをするのは何であろうか?実はことばの接着剤は2種類ある。ひとつは「生活文脈」でもうひとつは「既知言語」である。

「生活文脈」とは、ある特定な状況の中で特定な音の並びが聞こえて来た時、脳はそれらの関連を推測し、結合の準備をする。再び同じような状況の中で同じような音の並びが聞えて来ると、結合力が強くなり、やがて完全結合する。具体的に言うと、お腹が空いている時に”Are you hungry?”という英語音声が聞こえてくると、「お腹が空いているの?」という意味だと推測する。1回聞いただけで概念と音声が結合してしまう場合もあるが、同じ状況が何度か繰り返されることにより、”Are you hungry?”という英語音声と「お腹が空いているの?」という概念が完全に結合し、生きたことばとなる。又それを自ら音声として発することが出来るようになった時、「話せる」という段階に入る。このように色々な状況下の中で「概念(中枢言語)」と「音声(外的言語)」が結合して行くことにより、ことばの能力がドンドン高まって行く。

一方「生活文脈」だけでは「概念」と「音声記号」が結合し難い場合も多くある。特に抽象概念を表現する音声は、生活文脈だけではその意味を正確に推し量ることが難しい。そんな時「概念(中枢言語)」と「音声(外的言語)」を結合させる接着剤が「既知言語」である。すでに知っていることばによる説明が加わると、どんな内容の概念であっても、その概念とそれを表現する音声記号の結合が可能になる。ことばの理解と能力を高めるために、辞書、辞典、先生や親からの説明、国語の授業などが必要なのは、そのためである。

既知言語が果たす役割

ボストンの大学院卒業後、3年程現地の企業に就職したが、私の仕事の一つは、海外からの訪問客のお世話だった。特に日本人の訪問客は、100%私がお世話をした。

ある時日本人青年が関連会社を訪問することになったが、私は別の仕事が入っていたので、全然日本語がわからないアメリカ人の社員が運転手として彼に同行した。道中ヘッドライトをつけたまま列をなして走る車に出くわした時、案内役のアメリカ人社員は”That’s a funeral.”と言った。日本人青年は “funeral”の意味が分からなかったので”What is funeral?”と質問した。アメリカ人社員は、色々と説明し始めたが、その説明が複雑すぎて日本人はますますその意味が分からなくなってしまった。会社見学より”funeral”の方が気になったようで、戻るや否や、「木下さん、funeral って何ですか?」と私に尋ねた。突然の質問でびっくりしたが、「葬儀のことです」と答えると、「なーんだ。葬儀だったんですね。」と言ってフラストレーションから解放されたような顔になった。この時の私が発した「葬儀」は、彼にとって既知言語による意味の付加となり、大きな役割を果たしたのだ。アメリカ人社員のわからない英語での説明は、彼にとってほとんど意味がなかった。英語を多く聞いたという意味では多少のプラスはあったとは思うが。

年令と生活文脈・既知言語の相関関係

人がことばを習得するプロセスの中で、年令により「生活文脈」と「既知言語」への依存度が変化して行く。

0才~9才:

この時期は「生活文脈だけ「概念(中枢言語)」と「音声(外的言語)」が結合して行くので、既知言語への依存度が低い。この時期は、ある言語に十分触れるだけで、そのことばを習得することが出来る。と同時にこの時期は、ことばの環境が変わると、今まで使っていたことばを完全に忘れ、新しい環境の中で新しいことばをすぐに習得してしまう。

10才~12才:

母国語形成時期で、この時に脳に蓄積されていることばが母国語となる。2つのことばが蓄積されていればバイリンガルになり、複数のことばが蓄積されていればマルチリンガルになる。又この時期になると、ことばの能力を高めて行くのに、「生活文脈だけでは不十分となり、「既知語」すなわち母国語による意味の補充が必要となって来る。国語辞典や国語の授業があるのはそのためだ。

13才以降:

母国語が完成した後に学ぶことばはあくまでも外国語(第二言語)となる。13才以降は、新しいことばを覚えて行く時に、「既知言語」への依存度が非常に高くなる。すでにある程度の英語を知っている日本人の場合、英語と日本語が既知言語になるので、日本語を使わなくても英語だけで英語力を伸ばして行くことが出来る。でも英語が不十分な日本人の既知語は日本語だけなので、日本語の使用が禁止されたり、日本語が通じない環境の中で長く生活しても、英語がなかなか上達しない。

オオカミ少年がことばを覚えられない理由

0才~9才の子供は、「生活文脈」だけでことばを習得することが出来るが、オオカミ少年の場合、「生活文脈」はあっても、そこに人の音声が存在しないので、「概念(中枢言語)」と「音声(外的言語)」が結びつくことが無く、無言語の状態が続く。そして10才以降(特に13才以降)発見された時は、あたらしいことばを習得するために「既知言語」への依存度がすでに非常に高くなっていているので、「既知言語」が使えない状態で「生活文脈」だけでことばを覚えてもらうのは、至難の業となる。ことばを覚えるための手段が完全に失われた状態になっている彼らは、日本語も英語もあるいは世界のどの言語であっても習得することが出来ない。「母国語が完成してから新しいことばを覚えれば良い」という発想は彼等には全く当てはまらず、もっと早い段階で、すなわち「生活文脈」だけでことばを覚えてもらう必要があった。

こどもがことばを習得する4つのパターン

こどもがことばを習得する方法には、以下の4つのパターンがある

1.誕生後、ひとつの言語環境の中に育ち、10才以降それが母国語として脳内に定着する。世界のほとんどの人がこのパターンでことばを話すようになる。

2.誕生後、複数の言語が使われる環境の中に育ち、10才以降複数言語が母国語のように脳内に定着し、バイリンガル・マルチリンガルになる。ただ複数の言語の接し方の違いにより、母国語(強い言語)と準母国語(弱い言語)になることもある。

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3・誕生後、ひとつの言語環境の中に育ちながら、もうひとつの言語を「おけいこ事」的に学ぶ。日本における幼児英語教育やこども英会話教室のほとんどはこのパターンになる。 「おけいこ事」としての学びは英語に接する時間が圧倒的に少ないので、そのままでは本当の意味での英語習得は難しい。

4.母国語が脳内に定着してからすなわち10才以降に、英語を第二言語として学び始める。今英会話を学んでいるほとんどの日本人は、このパターンに入る。

「日本語確立後」はパターン4の子供たちを念頭に入れた発想

多くの人達が提唱している「子供に英語を学ばせるのは日本語が確立した後からの方が良い」という発想は、パターン4.すなわち「10才以降に、英語を学び始める」ことを想定している。この時期は「既知言語」への依存度が高まるので、「既知言語」となるはずの日本語が脳内で確率していることが望ましく、英語の理解も深まると考える。又そこには「小学校4、5年生以降からでないと、ことばが混乱し、どっちつかずになる」という考え方も混在しているようだ。

でもこの発想の弱点は、パターン2を念頭に置いていない所にある。本当はパターン2.が理想的な英語習得の形であるにもかかわらず、わざわざ10才になるまで英語に触れさせないという大きな過ちを犯すことになる。9才以下の子供は、母国語が完成する前に複数のことばを覚えることができ、やがてバイリンガル、マルチリンガルな子供に育つ。このように10才未満は「既知言語」への依存度が低いので、複数の言語を問題なく習得できるのに、「日本語が完成するまで待つ」という発想をすると、こどもの大きな可能性の芽を摘んでしまうことになる。

ただパターン3の「おけいこ事」に終わらせないために、英語の環境作りが大切になって来る。この部分を真剣に考えれば、こどもの英語教育あるいはバイリンガル教育は成功する。私が2人の子供にそれを実行し、バイリンガルに育てた生き証人である。

この記事の監修・執筆者
英語スピーキング教材YouCanSpeak、英語リスニング教材YouCanListen開発者
同時両方向通訳者/ 同時通訳セミナー講師。文学博士。NHK ラジオ・TV「Dr. Kinoshitaのおもしろ英語塾」教授等、各メディアで活躍
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